うつ病を克服して元ある生活に戻りたいと願っても、ちょっとやそっとじゃ抜け出せるものじゃない。

私自身、うつ病にかかって5年以上経過しているが、完治したとは言い難い。もちろん心の底から「 以前のように海や山に繰り出て週末を楽しみたい 」と思っているが、体がついてこない。今の私は、片道2時間かかる職場まで通勤するだけで、精一杯の体。

同時に、妻に対しても申し訳ないと思ってる。以前は年に2回の国内旅行は欠かさず行っていたのに、うつ病の後遺症で何事に対しても「 楽しい 」と思えない。

まさか自分と同じ思いを高校時代のツレが味わっていたとは、想像だにしなかった。

うつ病になると感覚がマヒしていく

その当時の様子を刈谷君43歳は「 まるで意識が麻痺してしまったほどの有様だった 」と表現する。

歯医者で麻酔を打たれると、口の内側が麻痺して舌触りや触覚がなくなってしまうが、うつ病の病状もちょうどこんなもののようだ。食欲や眠気など日頃当然に感じる願望が、驚くほどなくなってしまうという。まるでぶっとい障壁が、過去の自分と今の自分の間に陣取っているいるような気持ちに見舞われるらしいのだ。

さらに病状が悪化すると、「 しびれ 」の幅は着々と拡大していくという。「 テレビ番組のドラマを見ていても筋が心に残らない 」「 飲食店で料理を決めることができない 」「 家庭を見失い、没頭してきた趣味にも関心がなくなる 」等、「 認識力 」「 洞察力 」「 ものごとへの好奇心 」さえも消えてしまうという。

「 僕の場合、今まで通りにものごとを意欲的に考えられなくなっていった 」 東京都内の本店に出向した刈谷は、ますます職場のメインに近い部署の責任者となってしまった。 「 新しい仕事は、分からないことばかりだし、まわりは後輩ばかりで、誰に相談していいのかわからなかった 」という。やがて、自身の仕事に対する思いが、まったくなくなっていったという。

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メンタルヘルスがすぐ悪化してしまうタイプ

心理学用語には、SEという考え方がある。自信や自己肯定、プライドの具合を表す意味合いで使われ、これの値が大きい人であればあるほどメンタルヘルスは悪化しにくいという。SEの値が大きい人は、自分自身を正しく評価することができる。強みを見極めると併せて、不得意なことも理解できる。

KAZUKIHIRO81014_TP_V 私が45歳の時うつ病から再起を果たしたリアルな話を告白しますわかりやすく言うと、身近にいる人にウイークポイントをさらけ見せることができるということだ。逆に、SEの値が小さいと、これができないという。

私が知っている在学中の刈谷は、いつも落ち着いており、ありのままの自分を受け入れている風だった。しかし、問題があったとしても周りにSOSを発することができずにいたときは、その時だけSEが悪くなっていたことも考えられる。

あるいは、大手の起業には日頃からSEを抑えるような感情が渦巻いているのか?一秒たりとも自分のウィークポイントを見せれば、疎んじられ、否定されてしまいますという風に思わせるプレッシャーがあるというのか?

その上、少し前までは、帰宅すれば家族がいたが、単身赴任したために、ライフスタイルまですっかり変わってしまったのです。「 いくら、家族全員寝静まっていても、家族の気配を実感することができたが、単身赴任を開始してからはそれすらできないじゃないか 」

独り暮らすアパートに帰っても、ONとOFFの切り替えができず、職場での余韻を引きずり、悶々としながら起床する。ぼけっとした胸中を抱えたまま、独り出社の準備をするのは辛かったという。

実は会社を休んでリラックスしたい毎日だったが、いきなり自分が休めば同僚達に嫌な思いをさせるのは誰が見ても明らかだった。このような毎日を過ごすうち、体のあらゆる場所に原因がはっきりしない発疹がでたりなくなったりしてしまうようになったっていった。

私は数週間まったく眠れず地獄を見た

入眠障害と栄養不足が限界を越したのかもしれないが、突然熱を出したのは、転勤して6カ月後のことだった。この日はやむなく会社を休んだという。医者で点滴を打ってもらったとき、なかなか眠れない事実を医者に明かした。

KAZUKIHIRO81014_TP_V 私が45歳の時うつ病から再起を果たしたリアルな話を告白します「 軽い精神安定剤を出しましょう 」と医者に言われた。私が、これを服用したらどんなものかって質問したら、「 起床後、少しぼうっとすることも考えられます 」と言われてしまった。その時は給に怖くなってしまったんだ。「 俺はこんなことをやっている場合じゃない 」と自身に言い聞かせたという。

単身者だというのに薬でハイになっていたら、近いうち職場に行くことが出来なくなってしまうこともあり得る。これは、早急に治さないととんでもないことになる、そう感じたという。

この当時ついつい、スパッとと会社を退職してしまおうかとも考えたそうだ。何をせずとも余裕のない時に、戦力不足の社員を、会社がいかに処理するのかは用意に想像が付いたという意。医者の診断が下れば、職歴に傷がついてしまうなら、潔く自分から退職しよう。

上司が気遣ってくれるも時すでに遅し

次の日昼からから出勤した刈谷を思いやり、その日の夕方上長が話しかけてきたという。「 ビール一杯分だけ付き合えよ。無理やりにでも食わないと健康でなくなるぞ 」 酒瓶を傾けつつ苦しみを明かしたところ、「 それくらいのことで苦しむな。分からないことは俺に聞け 」と温かい言葉をかけてくださったそうだ。

「 上長である部長の一言で、なんと言うか胸のつかえが取れた。振り返ればシンプルな悩みだったと思うんだよな。だけど、ここで思ってしまったんだ。だったら今日まで独りで頑張ってきた俺はなんだったんだろう、俺にとって会社とはなんなんであろう。いまどきの若い連中は、急に辞表を提出して周囲をあっと驚かせたりするじゃないか。これって、お互いひとりぼっちだから、相手の理解ができなくなってきているという真理の裏返しと言う側面もあると言えてしまう 」

この日を最後に、刈谷の異変は少しずつではあるものの、だんだんと快方に向かっていくのでした。彼は気丈なことに、精神安定剤は一切飲まなかったという。その代わりに一日3食をきちんと食べるよう心がけた。食欲を出すために、フィットネスクラブにも通い始め体を鍛える喜びを味わった。

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同時並行で、考え方もがらりと変える風にがんばった。これまで自分を冷静になって見つめ直し、到達した結論は「 仕事で悩んで自ら死を選ぶなんて、ばかばかしい 」という単純なものだった。

うつ病がキッカケで20数年勤めた会社を辞めました

よくよく考えてみれば、仕事が全てと言い切れるほど、今の職場が大好きだということもなかったし、どうしても果たしたい目標があるわけでもなかった。そのくせ、今の職場に留まって精神を消耗させる必要は、果たしてあるのか? 自分には他にもっと大切なもの、やりたいと思う仕事があるんじゃないだろうか?

「 悪いが俺は今の職場を辞める 」と奥さんに伝えたとき、彼女は「 あなたが壊れてしまうというのなら、私に止める資格はない 」と言い放ったという。

KAZUKIHIRO81014_TP_V 私が45歳の時うつ病から再起を果たしたリアルな話を告白します目下のところ、刈谷は個人事業主として独立するための準備に明け暮れている。

開業後は、今までのコネクションをフル活用してアパレル販売の仕事をするという。マーケットを調べ上げ、小規模ながら家族を養っていくには問題ないと彼は言う。前の職場では立場上、めぐり会えることができなかった直接出会うお客さんの笑顔。誰かに感謝される仕事に、とうとうトライすることができる。

「 そりゃ不安は色々あるけど、あの寝れなかったころの精神状態を考えたら、今は幸せさ 」

平然と話してくれた刈谷であったが、軽度とは言えども、抑うつ状態から脱却するのは、そう楽でないはず。そこそこ長く勤めていた職場を退職したことも、小さな決断とは言えないだろうに。そうであっても、とにかく彼は特別ツライ時期を乗り切った。


私が45歳の時うつ病から再起を果たしたリアルな話を告白しますについてまとめてみましたが、いかがでしたか?
うつ病は、体験した者でないと、その辛さが分かりにくいものです。周囲から見れば、ただ単にサボっているだけと思われがちです。私も、総務職としてうつ病の社員を預かっていた頃は、うつ病の辛さを分かってやれなかった。救ってやれなかった命があることを後悔しています。

繰り返しになってしまいますが、一旦うつ病になってしまうと中々完治することはありません。だんだん、精神安定剤がないと落ち着いていられなくなり、睡眠導入剤がないと眠れなくなってしまいます。今まで楽しめていたものも失ってしまい、家族にも多大な迷惑をかけてしまう自分が情けなくて、負のループから抜け出せなくなってしまいます。

「 もう駄目だ、逃げ出したい 」と思ったら、中高年でも逃げていいと思います。悪化して命の危機を迎える前に、逃げ出す勇気も大切ですよ。転職支援をしている斉藤でした。

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