次こそは成功する!転職歴が7回を超えた40代の末路は無職という絶望

転職って、夢と希望がつまった一大イベントだと思いませんか?

だってほら、転職したら給料がアップして役職が付くじゃないですか。

しかも、前職のような煩わしい人間関係もなくなるから、すべてリセットして明日からまた歩いていける。

転職はある意味、麻薬のようなもの。

目の前にある問題が、転職で解決できると妄想するサラリーマンは、ジョブホッパーとなり結局40代なっても平社員のままの厳しい現実が突き付けられます。

川渕さん43歳も職をとっかえひっかえ既に転職回数は7回を超えてしまった要注意人物。

目次

超有名企業に入社するも自分探しの旅に出た20代

超有名企業に入社するも自分探しの旅に出た20代

東京の有名大学を卒業し、そのままスーパーゼネコン5と呼ばれる竹中工務店に入社。

誰が見たってうらやむ様な職場なのに彼はたった2年半で、自分探しのためにと退職してしまう。

そして2年間必死に働いて貯めた給料を元に、憧れだったオーストラリアに語学留学。

英語なんてこれっぽっちも興味がなかったにも関わらずだ。

帰国した彼は、元大手ゼネコン社員&オーストラリア留学の箔を付けて転職に挑むも採用してくれる企業はなかった。

声がかかるのは無理ゲーなノルマが課される爆弾営業や、詐欺まがいの商品を売りつける企業。

彼を採用してくれた企業はどこも夢を買ってくれた。

一番長く続いたのが、飲料水のルート配送で「体力的にキツかったけど、人間関係がドロドロしていないだけ精神的には楽だった」仕事を彼は6年で退職。

世の中がちょうど転職ブームに沸いていた頃、ルート配送で夢を語って意気投合したA後輩に誘われ、当時まだ珍しかったベンチャー企業の営業職に転身。

何でも、ベンチャー企業は頑張れば頑張るだけ報酬が上がっていき、20代や30代未経験者でも役員になった人がいる。

私自身、結婚を目前に転職活動を必死のパッチで行っていましたが、当時はこういう類の求人が非常に多かったように思えます。

「あなたの頑張りだけで年収1,000万円とか、30代でも副社長」とか、よくよく考えてみたらおかしな求人が沢山ありました。

彼はそういう話に乗って、まんまと採用されてしまった形。

後輩にスカウトされてベンチャー企業に入社した30代

後輩にスカウトされてベンチャー企業に入社した30代

営業職は初めてだったが、売上に繋げるための案を頻繁に繰り出すアイデアマン的な仕事ぶりが評価された。

もちろん年収も300万円後半から一気に500万円代前半に大幅アップ、30代半ばになりキツかった肉体労働からも解放され新規部署の立ち上げ責任者兼マネージャーとして抜擢。

正直、伝聞だけで採用してしまうベンチャー企業もスゴイが、夢を語り合った後輩に誘われる形で大手配送メーカーを退職する彼もスゴイ。

何もかもが順調に進んでいるかに見えていたが、徐々にほころびが生じ始める。

転職先のベンチャー企業では、初日に簡単なオリエンテーリングが行われただけ。

実は、オリエンテーションを行ってくれた20代女性自身、総務課に入ったばかりの新人。

即戦力とはいうものの、新しい職場に来て1時間も経たないのに新設部署に放り込まれてしまった。

せめて社内の基本的なルールや給料の支払先など最低限のことは聞いておきたかったが、何か聞けば「現場の人に聞いて欲しい」だった。

正直、彼女が総務である必要があるのか?と何度思ったことか。

現場で聞いてくださいと総務に言われていたので、お近づきついでにあれこれ同僚に聞いていたら「クレクレ君35歳」ってあだ名がついてしまった。

クレクレ君は、ネット用語で物乞いのことを指すらしいが、流石にこれには面食らった。

結局のところ、パソコンの設定方法から経費の精算に至るまで、全て現場の同僚に聞くハメになってしまった。

「管理職なのにこんな事も分からないのか」とずっと陰口を叩かれ続けながらね。

ベンチャー企業では独自文化の洗礼を受け成長する

ベンチャー企業では独自文化の洗礼を受け成長する

何よりも彼を困らせたのは、同僚たちの個人プレー。

同じ職場にいてもまるで赤の他人、お世辞にも協力的とは言えない社風の中、経営陣や部長クラスの社員に何とかして欲しいと懇願しても「前職と同じように、現場の社員達をひとつにまとめて欲しい」と言われるだけ。

正直、前職は体育会系だったこともあり、口は悪いものの裏表がない人間ばかり。

協力して欲しいと頼めばギブ・アンド・テイクではあるものの、ここぞとばかりに協力してくれる。

「それなのにここの社員達は何だ!」と戸惑いを隠せない。

あやうく社内の不満を愚痴りそうになったけれど、自分をスカウトしてくれた後輩の面子もある。

唯一頼れる存在の後輩に相談したら、「郷に入れば郷に従えです。今は耐えましょう」とアドバイスしてくれていたが、その後輩も1年後には転職してしまった。

そんな苦境に立たされながらも、少しづつではあるが同僚達の信頼を勝ち得ることができ始めた。

クレクレ君の汚名が挽回され、さあ新規事業でバリバリやっていくぞ!と意気込んでいた彼を待ち受けていたのは、そもそもこの部署が何のために存在するのかも分からない事実。

名刺に印刷してある名称は、新規企画室。

直属の上司である営業部長からは、「顧客の開拓営業をして欲しい」ザックリした内容を聞いただけ。

どういった戦略で事業を展開しているのか、どういう企業を対象に営業するのか具体的な指針が示されないままの見切り発車。

少しづつ、自分の部署外の実態も把握でき始めたが、どうやら他部署の管理職達もいわゆる転職組。

しかも、かつて自分がいたスーパーゼネコンのような大企業から引き抜かれてきた猛者ばかり。

「すごい経歴の諸先輩方と仕事ができる」と話してみるも、何というか漠然な回答しか得られないことに彼は気付いてしまう。

どうも彼らは元職場から引き継いだ顧客たちを対象に、コンサルティング的事業を展開しているようでしたが、異業種からの転職組である川渕さんに既存の顧客がいるはずもなく開拓営業になるばかりでなく、抽象的すぎる戦略を元に営業しろ!開拓しろ!と指示されても、何から始めて良いのかさえ分からない状況が続いていました。

年収が上がって誰もがうらやむポジションに就いたが

年収が上がって誰もがうらやむポジションに就いたが

「それでも、もう後がないからやるしかない」と考え、元ゼネコンの猛者たちに媚を売っては顧客を分けてもらう日々が続いた。

もちろん、ガチンコの営業職が初めての彼は何をセールスしていいのかも分からない。

出向いても「どこの馬の骨かも分からないあなたや、聞いたこともないベンチャー企業に任せられない」と門前払いを喰らう日々。

彼はかつて所属していたスーパーゼネコン時代や、前職を思い出していた。

名刺を渡せば、入社したばかりのペーペーにも頭を下げて迎えてくれる、「ああ聞いたことがある社名だね」なんて安心感を与えることが出来る。

「大手企業の名前で仕事が出来ていた」事実を痛感してしまった。

そうして試用期間が過ぎ、晴れて正社員になって1年が経過ようとしていた頃、全社員を交えて行われる経営会議で川渕さんは晒し首にかけられることになる。

営業職として入社した彼は、営業成績が振るわず初めて見る社長から名指で叱責されてしまいます。

確かに、他部署の役付き達から「営業成績が悪いと会議でさらし首にされる」噂だけは聞いていましたが、まさか

  • 本当に仕事はしているのか!
  • この給料泥棒が!
  • お前は何もできない幼稚園児か!

と一方的にまくしたてられるも、彼は一言も反論することなく長い4時間あまりの会議中ずっと怒鳴られ続けるしかありませんでした。

解決策を見いだせず悶々としていたある日、川渕さんは採用してくれた営業本部長に呼び出されます。

言われることはある程度予想はつきましたが、「Aから聞いていたほど、優秀な男ではない」「前職でトップセールスマンと呼ばれた男が、なにゆえ新規開拓もできないのか」という問ばかり。

流石に社長には言い返せなかった彼も今まで我慢していたうっぷんを、爆発させてしまいます。

「そもそも、企業としての戦略はどういったものなのか?」「そもそも、入社した時から何をどうしていいのかさえ分からない」と今の気持ちをすべて吐き出した彼に対し、部長が放った言葉は「何をしていいのか分からないのであれば、何故分かるまで聞かないのだ?」。

しかも、「新設部署のマネジメントを任せたのに、退職者が3人も出た。これはもう部門を任せてはおけないし評価を下げるしかないよ」心ない言葉でした。

それでも生まれたばかりの娘のため、どうにかこの職場でやっていけないか模索した。

さらし首にされ同僚との関係が悪化しうつ病へ突入

さらし首にされ同僚との関係が悪化しうつ病へ突入

3人いた部下が全員退職してしまい、新たに転職してきた同僚達との仲も冷え切っていることに気付いてしまう。

ついつい、「君の前にいたDちゃんは痒い所に手が届くアシスタントだった」なんて口走ってしまった自分が悪いからだ。

職場で孤独になって心が荒んでいくのが分かったし気が付けば、後輩たちから陰口を叩かれるようになっていた。

「給料クレクレ君40歳って屈辱的なあだ名が横行し始めた頃、彼の体に異変が起こり始める。

「前職は体力的にしんどかったけど、人間関係は良かったよなぁ」生まれた娘のためにと、体を引きずり出社する毎日が続いたが目眩や吐き気が収まらず出社できない、いわゆるうつ状態に陥っていった。

最後に出社した日、彼が覚えているのは都営地下鉄で改札に定期を通したところまで。

プッつり切れた彼の精神はしばらく戻ることはなく、そのまま自主退社。

40代に入って2年もの間アルバイトで食つなぐしかなかった彼は、ブランク期間の重い十字架を背負い私の転職支援を受けるため訪れました。

「転職歴が6回あるうつ病の俺を、正社員で雇ってくれる企業はゼロだった」と彼はいう。

川渕さんを自分と重ねてしまうのは、彼がベンチャー企業に転職したまさにその年、私自身も「これが人生最後と」大手鉄鋼会社に転職できたから。

私達世代は、就職氷河期を乗り越えた世代であり、あの頃の転職ブームは正に人生を賭けた最終決戦だったと言えます。

チャンスを捉えて幸運にも仕事のチャンスを勝ち取れた私と、できなかった川渕さん。

私も川渕さんも、世の中が作り出した転職神話という幻想の中で踊っていたにすぎません。

私達の場合と同じく、転職神話に踊らされて転職を繰り返しキャリアセットを損ねてしまった40代は非常に多いと言えます。

私自身、少しでも運命が違っていたらキャリアの構築が出来ず、転職を繰り返すジョブホッパーとなっていたのかもしれません。

40代の転職活動を支援している管理人からアドバイス

40代の転職活動を支援している管理人からアドバイス

不採用通知を続けざまに受けると、「ひよっとして自分は、世の中から必要とされていないんじゃないか?」と自暴自棄になってしまいます。

そういうことばかり考えていると、精神的にも追い込まれて、転職活動どころではありませんよね?

私も40代でリストラされて転職活動した際、散々不採用通知を受け取ったので気持ちは良くわかります。

ネガティブな感情は、行動する勇気を徐々に削いでいきます。

「どうせ応募しても不採用だから応募しない」と思い始めると、ストレスが極限に達している証拠。

そうなってしまったら、転職エージェントに相談する気すら失せてしまいます。

40代が不採用続きなのは自分の市場価値やニーズを把握していないことが大半。

人は自分の範疇でないと中々物事を決められない生き物ですから、キャリアコンサルタントに相談するのが一番の近道。

でも理由を付けて、転職エージェントが持つ非公開求人枠を取りにいかないのは転職そのものを諦めるのと同じです。

転職エージェントは、転職サイトと違い無料で色々お世話してくれます。

転職エージェントに出向いて面談しなければならないのが唯一のデメリットですが、履歴書類作りやブラシアップを手伝ってくれたり、求人検索の時間を短縮できる点では、他人任せにして転職活動を進めていきたい40代にとっては頼もしい存在。

私が最もお世話になったJACリクルートメントは、日本の企業にはないリクルートメント・コンサルタント制を取っています。

これは、企業担当者がキャリアコンサルタントを兼任する形態を取っており、先方の企業風土や採用担当者の年齢だけでなく、性格や好みといった企業情報を詳しく教え面接対策に威力を発揮。

さらに、登録から求人の紹介、面接、内定に至る一連の流れが非常に早いのが特徴。

紹介してもらえる求人は、基本的に面接まで進めるためストレスフリー。

当サイトいち押し!
同じ苦労を重ねた私だからJACリクルートメントをお勧めします

転職歴が7回を超えた40代の末路は無職という絶望

最後に要点をまとめておきますので参考にしてください。

  • 20代、2年半で竹中工務店を退社し自分探しの旅へ
    採用してくれる企業は、どこも夢が売りのブラック会社
  • 30代、ルート配送時代の後輩にスカウトされベンチャー企業へ
  • 企業文化からか、ベンチャー企業は個人プレーが目立つ職場
  • 最後は叱責のターゲットにされうつ病になり退職
  • 現在40歳半ばで求職中

転職を繰り返してしまうジョブホッパーの問題点は、転職をすることで今抱えている問題点が解決できると考えてしまうこと。

確かに、転職は今まで抱えていた問題点の多くを解決してくれます。給与や肩書が上がったり、煩わしい人間関係や派閥がない職場で心機一転リフレッシュできる。

でも唯一変わることがないものがありますよね?

あなた自身は、転職したからといって何ら変わることがありません。

転職したから能力が飛躍的にアップするのではなく、あなたに課せられるのは、転職歴プラス1回って十字架だけなのですから。

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