40代の転職でうつ病になって仕事を辞めたリアルを正直に話します

40代の我々は 頑張ってあたりまえと世間から思われがちですよね?

もちろん自分自身も、今が働き盛りと思っているから否定するつもりもない。

うつ病は、現代社会においておおよそ10人にひとりがかかるデータがあるぐらいです。

中でも、勤め先や家庭での責任が重くのしかかる40代の会社員にとって、ごく身近にある脅威として浸透していますが、実際にうつ病は脅威なのでしょうか?

目次

うつは経験した人間でしか分かち合えない辛い心の病

うつは経験した人間でしか分かち合えない辛い心の病

総務職に就いていると社内でうつ病にかかった社員を預かる、建前的な「総務預かり」を何度も経験してきた。

もちろん自分自身もうつ病は経験済。

どうしても周りの雰囲気に敏感な私は幾度となくこの病気と闘ってきましたが、最近はひどい転職うつに悩まされ地獄を見ています。

ケガなどの外傷と違って、本人の意思に関係ないのが怖いし、最も恐ろしいと感じるのは治したくてもなかなか治らないこと。

うつ病を経験し、そこから無事に復帰した人達は「今日までがむしゃらに働いてきたけど、うつ病によって立ち止まる瞬間、人生ががらりと変わることがある」と共通してそんな風に語る。

誰もいない電車のシートに座り外の風景を眺めていれば、「今日は職場に行かず冒険に出てみよう」とか、「この駅で降りて散策してみよう」って気持ちになることもある。

うつ病は人生を考え直す1つのキッカケに過ぎません。

言うまでもなく、時に死に至ることもあるうつ病は決して馬鹿にしてはならない病気。

だからと言って、うつ病を乗り越えそれから何かしらを吸収することは出来るのではないか?

うつ病を契機として社会との繋がりを見直し、脱サラを成し遂げた友だちに話を聞いてみた。

うつ病になると自分が必要されていない錯覚に陥る

うつ病になると自分が必要されていない錯覚に陥る

刈谷君43歳は、どちらかと言うとおっとりしている感じの友人。

高校・大学時代からの間柄だが、朗らかで頼り甲斐があって、仲間内でもリーダー的な存在。

そんな訳で、その彼から「うつ病の症状で悩んできた」と聞かされた時、正直どうしていいのか分からなかった。

最初に現われた症状は不眠だった。

なかなか眠れない入眠障害と、夜中に目覚めたりして安眠感を得られない安眠障害、寝ている途中で夢から覚めてしまう早朝覚醒が代表格だ。

うつ病では特に入眠障害と安眠障害が多いと言われている。

さらに刈谷君の場合、寝付けない夜中に苦しみ悶え別に理由もなく「自分なんて世の中から消えてしまったほうがいいんじゃないか?」と考えるようになってしまった。

専門家はそうしたロジックを自殺念慮と呼び、うつ病の人が持ちやすいと警鐘を鳴らす。

そのほかメンタル的に、行く末に絶望したり、無駄に罪の意識を持ったり、怒りがこみ上げてきたり思考力ややる気を失ったり、といった症状がよくあるパターン。

彼にしてみれば、それ程深刻な状況ではなかった。

辛かったのはほんの1ヵ月くらで休職に至った訳でもない。

彼はあっけらかんと言うが、言い換えればその当時の状態はそれほど容易でなかったことが伺える。

病の原因は、どうやらもっと奥深いところにあるようでした。

刈谷は私と同い年の43歳。

2児のパパだ。地元の私立大学を卒業後、大手アパレルメーカーで働いてきた。

仕事はやりがいがあったよ。斉藤と同じで総務人事や経理部門といった、事務畑を大方経験してきたことで人、モノ、カネの流れが確実に見えてきたからね。

営業として海外に出て、バリバリ交渉事をしているときは、世界中を駆け巡るまるで映画の主人公のような興奮を覚えることもあった。

彼は、ずっと関わりを持ってきたプロジェクトが形になったときの達成感が今でも忘れられない。

俺は時代の一番先にいる、そんなプライドやまわりとの連帯感は、未来へのエネルギーにつながっていた。

けれども、いつ頃からか何かが音を立てて崩れ去ってしまった、と彼。

うつ病になったキッカケは些細な出来事から始まった

うつ病になったキッカケは些細な出来事から始まった

思い返せば、これらの引き金は2005年。

今も忘れることがないJR福知山線脱線事故の年、賞与が一気に減少してしまった。

夏のボーナスで90万円弱、破格な額面を得て彼と一緒に大喜びしたのはちょうどその前年のことだった。

彼のサラリーマン人生において最高の賞与額で、給与まで削られることはなかったが賞与の激減は生活を直撃。

それまでは同僚達と、週末ともなればちょっと一杯やっていくかと三宮の街へ繰り出していた。

そんな雰囲気もいつのまにか消滅し、みんな声もかけずに我先へと帰宅するようになっていった。

「同僚はみんなローンなんかで台所事情が厳しかったと思うけど、飲み会は普段のウサを晴らすための大事な場だからね。そういう場がなくなってしまったのは悲しいことだったよ」それから3年後、大規模な人員削減が始まった。

2008年9月リーマンショックが発生すると、それまで羽振りがよかったアパレルメーカーでは大規模なリストラが始まった。

初回の早期退職者募集で、同期入社仲間が何人か辞めていった。

もちろん優秀な社員達も含まれていた。2回目、3回目も同様だった。

残された従業員で会社を支えようとすれば、仕事ができる社員に集中してしまう。

人一倍責任感のつよかった刈谷君は、犠牲者の一人だった。

そんなとき何よりもキツかったのは、上司がまったく当てにならなかったこと。

中間管理職がほとんど姿を消し、間近に上長がいなくなる非常事態。

或いは、上長自身仕事を抱えすぎて、部下の面倒まで見切れなくなってしまう。

そうでなければ、定年まで会社に寄生するだけの「やる気のない上司」に変貌していく。

こういった場合、上長の仕事や責任まで部下が引き受けるハメに陥り、実はそれが極悪パターンだったりする。

たった2、3年前まで確かにあった、社内の絆が消えていく。

誰よりも、人情を大切にする刈谷にとって、それはあまりに寂しい現実だったと断言できる。

2010年、人員不足の東京本社への辞令が下りたのは、まさにそんな頃であった。

うつ病になると徐々に感覚がマヒしていく恐怖を味わう

うつ病になると徐々に感覚がマヒしていく恐怖を味わう

妻子を神戸に残し、単身で都会のど真ん中のマンション暮らしを始めた彼は、最初の不調を自覚した。

ベットに入ると何故か考えてしまう。

誰にも相談できず一人で抱え込んでいる仕事のことがグルグル頭の中で回り出す。同じ考えが永遠頭の中を駆け巡って、「ヤバイ、このままじゃ眠れない」って軽いパニック状態になって本当に眠れない。

誰もいない部屋の中で、因果関係不明な思考はどんどん膨らんでいく。

最終的に脳裏に浮かんだのは「なんでも俺が責任を負わなければならない?こんなに苦しいんだったら、いっそ死んでしまおう」と考えてしまった。

思考は自分の死後のことにまで及んでいった。

俺が死んだら、家のローンはどうなるんだろう、チャラになるのか?2人の可愛いわが子はどうなってしまうのか?食欲もパタリと止まってしまった。

体重がたった1か月で10キロも激減した。久しぶりに会った刈谷は、今までの自分とは明らかに何かが違うと怯えていた。

当時の様子を刈谷は「まるで意識が麻痺してしまった有様」と表現する。

歯医者で麻酔を打たれると、口の内側が麻痺して舌触りや触覚がなくなるが、うつ病の病状もちょうどこんなもの。

食欲や眠気など日頃当然に感じる願望が、驚くほどなくなってしまう。

まるでぶっとい障壁が、過去の自分と今の自分の間に陣取っているいる気持ちに見舞われる。

さらに病状が悪化すると、「しびれ」の幅は着々と拡大していく。

「テレビ番組のドラマを見ていても筋が心に残らない」「飲食店で料理を決めれない」「家庭を見失い、没頭してきた趣味にも関心がなくなる」「認識力」「洞察力」「ものごとへの好奇心」さえも消えてしまう。

「僕の場合、今まで通りにものごとを意欲的に考えられなくなった」 東京都内の本店に出向した刈谷は、ますます職場のメインに近い部署の責任者となってしまう。

「新しい仕事は、分からないことばかりだし、まわりは後輩ばかりで、誰に相談していいのか分からなかった」。

やがて、自身の仕事に対する思いが全くなくなっていった。

弱点をさらけ出せない人はうつ病が悪化する傾向にある

弱点をさらけ出せない人はうつ病が悪化する傾向にある

心理学用語には、SEという考え方がある。

自信や自己肯定、プライドの具合を表す意味合いで使われ、この値が大きい人であればメンタルヘルスは悪化しにくい。

SEの値が大きい人は、自分自身を正しく評価することができ、強みを見極めると併せて不得意なことも理解できる。

分かりやすく言うと、身近にいる人にウイークポイントをさら出すことができること。

逆に、SEの値が小さいとこれができない。

私が知っている在学中の刈谷は、いつも落ち着いてありのままの自分を受け入れている風だったが、問題があったとしても周りにSOSを発することができずにいた時は、その時だけSEが悪くなっていたことも考えられる。

あるいは、大手の起業には日頃からSEを抑える感情が渦巻いているのか?一秒たりとも自分のウィークポイントを見せれば、疎んじられ、否定されてしまう風に思わせるプレッシャーがあるのか?

その上、少し前までは、帰宅すれば家族がいたが、単身赴任したために、ライフスタイルまですっかり変わってしまった。

「いくら、家族全員寝静まっていても、家族の気配を実感することができたが、単身赴任してからはそれすらできていない」独り暮らすアパートに帰っても、ONとOFFの切り替えができず、職場での余韻を引きずり、悶々としながら起床する。

ぼけっとした胸中を抱えたまま、独り出社の準備をするのは辛かった。

実は会社を休んでリラックスしたい毎日だったが、いきなり自分が休めば同僚達に嫌な思いをさせるのは誰が見ても明らかだった。

この毎日を過ごすうち、体のあらゆる場所に原因がはっきりしない発疹が出たりなくなったりするようになっていた。

入眠障害で数週間まったく眠れず地獄を見た経験を語る

入眠障害で数週間まったく眠れず地獄を見た経験を語る

入眠障害と栄養不足が限界を越したのかもしれないが、突然熱を出したのは転勤して6カ月後のことだった。

この日は仕方なく会社を休むしかなかった。医者で点滴を打ってもらったとき、なかなか眠れない事実を医者に明かした。

「軽い精神安定剤を出しましょう」と医者に言われた。私はこれを服用したらどういう状態になるのか質問したら、「起床後、少しぼうっとすることも考えられます」と言われてしまった。

その時は急に怖くなって「俺はこんなことをやっている場合じゃない」と自身に言い聞かせた。

単身者なのに薬でハイになっていたら、近いうち職場に行くことさえ出来なくなる恐れもある。

早急に治さないととんでもないことになると感じた。

この時ついスパッとと会社を退職してしまおうと考えた。

何をせずとも余裕のない時に、戦力不足の社員を会社がいかに処理するかは容易に想像が付いた。

医者の診断が下れば、職歴に傷がついてしまうなら、潔く自分から退職しよう。

そう考えた次の日、昼からから出勤した刈谷を思いやり、偶然にもその日の夕方上長が話しかけてきた。

「ビール一杯分だけ付き合えよ。無理やりにでも食わないと健康でなくなるぞ」 酒瓶を傾けつつ苦しみを明かしたところ、「それくらいのことで苦しむな。分からないことは俺に聞け」と温かい言葉をかけてくれた。

上長である部長の一言で何というか胸のつかえが取れた。

振り返ればシンプルな悩みだったんだよ。

だけど考えてしまったんだ、だったら今日まで独りで頑張ってきた俺はなんだったんだろう?俺にとって会社とは何であろう?

いまどきの若い連中は、急に辞表を提出して周囲をあっと驚かせたりするじゃないか?これって、お互いひとりぼっちだから相手の理解ができなくなってきている真理の裏返しと言えてしまう。

この日を最後に、刈谷の異変は少しずつではあるものの、だんだんと快方に向かっていく。

うつ病がキッカケで20数年勤めた会社を辞めました

うつ病がキッカケで20数年勤めた会社を辞めました

彼は気丈なことに、精神安定剤は一切飲まなかった。

その代わりに一日3食をきちんと食べるよう心がけ、食欲を出すためにフィットネスクラブに通い体を鍛える喜びを味わった。

同時並行で、考え方もがらりと変える風に頑張った。

これまで自分を冷静になって見つめ直し、到達した結論は「仕事で悩んで自ら死を選ぶなんて、ばかばかしい」単純なもの。

よく考えてみれば、仕事が全てと言い切れるほど今の職場が好きなわけでもなし、どうしても果たしたい目標があるわけでもなかった。

そのくせ、今の職場に留まって精神を消耗させる必要は、果たしてあるのか? 自分には他にもっと大切なもの、やりたいと思う仕事があるんじゃないだろうか?

「悪いが俺は今の職場を辞める」と奥さんに伝えたとき、彼女は「あなたが壊れてしまうのなら、私に止める資格はない」と言い放った。

目下のところ、刈谷は個人事業主として独立するための準備に明け暮れている。開業後は、今までのコネクションをフル活用してアパレル販売の仕事をする予定。

マーケットを調べ上げ、小規模ながら家族を養っていくには問題ないと彼は言う。

前の職場では立場上、めぐり会えることができなかった直接出会うお客さんの笑顔。

誰かに感謝される仕事に、とうとうトライすることができる。

「そりゃ不安は色々あるけど、あの寝れなかったころの精神状態を考えたら、今は幸せさ」

平然と話してくれた刈谷であったが、軽度とは言えども、抑うつ状態から脱却するのは楽でないはず。

そこそこ長く勤めていた職場を退職したことも、小さな決断とは言えないだろうに。

そうであっても、とにかく彼は特別ツライ時期を乗り切った。

40代でうつ病になって苦しんだ管理人からアドバイス

40代でうつ病になって苦しんだ管理人からアドバイス

私達40代は、これまでのキャリアを評価され即戦力として次の職場に入社することになります。

これまで従事してきた経験を発揮できるのなら、身に余る思いで入社される方も多いことでしょう。

しかしながら、入社してみないと分からない職場の雰囲気なり慣習などがあります。

激しいパワハラやモラハラ、慣習化したサービス残業、宗教の強制勧誘などがある職場に遭遇した場合は、速攻で身を引くべき。

何度転職しても、理想と現実のギャップが埋まることはありませんがこの先20年余り我慢し続けられますか?

こういった場合、精神的に追い込まれてしまいますよね。

100通、200通と履歴書を送り続けて初めて手にした内定。

こんな辛い転職活動は今回限りにしよう、転職の困難を乗り越えたのだから、どんな試練も乗り越えていける…との思い出入社したはずなのに。

でも、心も体もボロボロな状態で、幸せな転職活動ができると思いますか?

ストレスや疲労が限界に達してしまえば、転職エージェントに登録する気すら起きなくなります。

うつ病を抱えている40代は、最悪の状況に陥る前にうつ病支援の転職エージェントに登録しておくべき。

私自身うつ病を抱えながら転職活動を行いましたが、想像以上に辛いですよ?誰にもうつ病の事実を打ち明けられないのは。

「実はうつ病と戦っています」って採用官に匂わせたら速攻でお見送りですし、運よく入社できても誰にも打ち明けられず辛かった。

そんな孤独で過酷な状況に追い込まれる前に、うつ病専門の就労支援エージェントのシゴトライに登録してみませんか?

うつ病患者の就労支援を15年以上に渡り実施してきた経験は業界No.1。

うつ病専門のキャリアコンサルタントが内定までサポートしてくれます。しかも、転職後の職場定着率も90%だから驚き。

同じ症状や同じ目標を持つ仲間と悩みや解決策の情報共有もできるため、安心じゃないですか?

当サイトいち押し!
同じ苦労を重ねた私だからatGPジョブトレ>>をおすすめします
うつ症状専門のトレーニングだから働き続ける力が身につく

うつ病になって仕事を辞めたリアルまとめ

最後に要点をまとめておきます。

  • 現代社会において10人に1人がかかる病気
  • リーマンショックでリストラが始まり、人員が激減し仕事が集中
  • 何もかもが麻痺してしまい、食欲や眠気がなくなる
  • 上司が彼の状態を気遣ってくれ、胸のつっかえが取れた
  • フィットネスクラブに通い、体を鍛えた

うつ病は、体験した者でないと、その辛さが分かりにく非常に辛い体験です。

周囲から見れば、ただ単にサボっているだけと思われがちなので。

私も、総務職としてうつ病の社員を預かっていた頃は、うつ病の辛さを分かってやれなかった。

救ってやれなかった命があることを、今は後悔しています。

当サイトいち押し!
同じ苦労を重ねた私だからatGPジョブトレ>>をおすすめします
うつ症状専門のトレーニングだから働き続ける力が身につく
関連キーワード

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう